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河和小学校(こうわしょうがっこう)


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南吉が河和小学校につとめた初めの日の日記です。

 河和小学校は、知多半島の南部にある美浜町にあります。
 南吉は、昭和12年4月から7月まで、河和第1尋常(じんじょう)小学校(今の河和小学校)で代用教員として、4年生64人の担任をしました。まだ病気が十分になおっていない南吉にとって、これはたいへんであったと思いますが、この時期に生きるよろこびを感じたことが日記や手紙からわかります。

 昭和12年5月10日の日記には、こんなことが書かれています。「このままこの海を見おろす美しい小学校で教員をしていられたらと、つくづく思うことがある。」

 また、東京の巽聖歌(たつみせいか)にこんな手紙を送っています。「ぼくは4月から、河和という海ぞいの町で、代用教員をしています。半田から例(れい)の電車で30分南へ走って、終点(しゅうてん)に着くとそこに波の音をきくことができます。ここが河和です。ひじょうになごやかな、美しい、こころよいところなのです。ここで、ぼくは、かりそめの、ささやかなしあわせを味わっています。こんなところに、こんなしあわせがあろうとは、つゆ知りませんでした。生きていることがむだばかりではないことが、これでわかりました。……」(昭和12年6月5日)

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写真は、河和小学校にある石碑(せきひ)で、
「石何年 苔蒸(こけむ)し清水(しみず) しみわたり」という南吉の俳句がきざまれています。